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第2話 屈辱

last update publish date: 2026-08-13 21:13:24

 デスクに戻れば、作るべき資料は山のようにある。遥はすぐに分析作業に没頭していった。AIは早い。もちろん遥もAIはフル活用する。けれど、そのAIに指示を出すのも、出た結果を検証するのも、やっぱり人だと思う。

 あっという間に時間は過ぎ、昼休みのベルが鳴る。

 ベルを合図に少し背伸びをして肩を回すと、遥はスケジュールアプリを開き、午後の予定を確認する。

 打ち合わせが2件。片方は社内の定例ミーティングだからいいとして、もう一件は広告代理店との打ち合わせだ。こちらのマーケティングの方針を的確に伝え、認識の齟齬が起きないようにしないといけない。要件確認の最後の会議だから、ここで間違えると、後戻りの被害が甚大だ。

 準備はできているが、資料の最終確認ぐらいはしておいた方がいい。

 小さく息を吐くと、昼食のために外に出ていくことを諦め、引出しから小さな栄養補助食品を取り出した。

「水野さん。それ、お昼ごはんのつもりですか?」

 向かいのデスクから見とがめたような男性の声が飛んでくる。

 同じ企画アシスタントの後藤だ。一つ期が下だが、とても優秀で次に自分を抜いてくのだとしたら、この後藤だろう、と遥は内心思っている。

「そうよ?悪い?」

 そっけなく応えると、栄養補助食品の袋をぴり、と破る。

 資料なんか多少粗くたって、堂々としている方がいいのよ。

 そう言った後輩の子たちの声が耳の中によみがえる。

 もしそうなんだとしたら、今から自分がお昼ご飯を犠牲にしてやろうとしていることは、馬鹿すぎるかもしれない。

 でも、これが自分の性分だ、しょうがない。

 そっと周りを見渡して、ほとんどのメンバーがランチに行ったことを確認すると、資料を開いて、他の資料と突き合わせながらチェックを始めた。

 デスクの向こうから、後藤がこちらをじっと見つめていたが、遥は気が付かなかったことにする。

 今回のプロジェクトには、後藤は関わっていないのだから。

  ✿

 投影資料をギリギリまで調整し、遥はノートPCを抱えると慌てて社外会議室へと走る。

「あれ~水野さん。まだ会議室に行っていなかったんですかぁ?鈴木さん、とっくの昔に行来てますよぉ」

 朝、柱の陰で、これからの時代は分析はAIが、とうそぶいていた後輩、小田だ。

 よぉ、に、侮りの色をまた微妙ににじませる。

 陰口だけでなく、こうやって堂々と面と向かって言うことはいっそすがすがしいが、悪意をぶつけられていい気はしない。

「そうね」

 相手にしないのが一番、と軽くいなすと会議室に入る。

 みじめね。

 そう聞こえたのは気のせいか。

 思わず振り返ると、後輩の先に来訪者をアテンドしてこちらに向かってくる鈴木が見えた。

 あ。鈴木くんってやっぱり、あの嫌味なダブル博士号を取った嫌味な男そっくりじゃん。

 そんな場合でもないのに、今朝見た夢を思い出す。

 ダブル博士号を取るために、苦しい生活を高校時代からの彼女に支えさせておきながら、大富豪に見初められたからと言って、かんたんにそれまで支えてくれた女を手放す、クズ男。

 考えてみれば、鈴木くんの行動って、まさにあの嫌味なダブル博士号の男と同じだわ。

 と、そこまで思って遥ははっとした。

 違う。そんな白昼夢を見ている場合ではない。今は仕事中なのだ。

 冷静な目で、会議室の中をざっと見る。資料投影用のPCのセッティングは終わってない。遥を侮るあの小田の仕事のはずだ。

 侮るのは勝手だけど、自分の仕事をしてくれないかしら。

 そう思いながら、心の中でため息をつくと、手早くセッティングを開始した。彼女にちゃんとやって、と先輩として指導するべきかもしれない。しかし、そこで巻き起こる騒動を考えたら、黙ってやってしまうほうが早い、と割り切った。

「わ、さすが水野さん、雑·用·は早いですねぇ」

 ……何なの。その嫌味な言い方。

 さすがに遥もムッとする。

「ちょっ、あな……」

 主に議事録作成担当として打ち合わせに入っていた麻衣が、思わず声を上げかけたが、遥は目線で麻衣を押さえた。

 何分、もう相手は来ているのだ。

 こちらがクライアント側とはいえ、そんな無様な内情は見せないほうがいい。

 相手は、「氷の機械」の異名も持つ、広告代理店のやり手、主任の藤堂悠馬だ。少しでもほころびは見せないに限る。

 さすがに麻衣もそこはわかったのか、ぐっとこらえ、声を飲み込んだ。

 遥も手際よくセッティングを行い、自席に着席し、資料の投影の準備を完了させる。

 そうして目を上げると、こちらを見ている藤堂悠真とばっちり目が合った。

 どくん。

 別に初対面じゃないのに、こんなにまともに視線が合ったのは初めてのせいだろうか。

 遥の心臓が跳ね上がる。

 そして、跳ね上がった心臓に、心当たりのない遥は内心うろたえた。

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